言いたいことをたまに発散させるブログ

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イジメられる側に問題があるという意味不明な考え

私はいまでは普通のサラリーマンだが、学生時代は教員を志していた。実際に教職課程を経て教員免許を取得し、いろいろ考えた末に教員試験さえ受けないまま現在に至るが、昔から教育問題には興味があった。むしろ親になったこともあり、より一層関心をもつようになった。

 

教育問題には、ゆとり教育やモンペなど一種の流行のような問題もあるが、これから書くイジメについては長く取り上げられ続けているテーマである。

 

私がまだ中学生のとき、たまたままわりの友人が話していた会話が耳に入り、そのときの言葉が頭のなかに残っている。

 

イジメって、イジメられるほうに問題があるんだよね

 

この言葉からは、中学生の思考能力といえど、その友人が断定した確固たる意見であると感じられ、私にはそれが恐怖だったのでいまでも強く記憶しているのだと思う。

ちなみに私はこのときまで、もっと言うと生涯にわたって(たぶん)イジメられたことはないが、その友人は少しヤンチャなほうだった。

 

自分が大人になっていくつれてわかったのは、中学時代に友人がそう考えたのは決して異常ではないということ。なぜなら「イジメられる側にも問題がある」と考える大人がいるからだ。大人が考えることを子どもが考えるのは普通のことである。

 

被害者側に問題があるというのは一見深い意味があるように感じられるかもしれないが、客観的に考えれば問題があるのは明らかに加害者だ。

 

イジメられる側にも原因はあるかもしれないが問題ではない。問題なのはイジメているという行為と、イジメている側の都合である。

 

イジメられる側を問題視するのは、ただでさえ辛い思いをしてるイジメられる側をさらに追い詰めてしまう大変危険な考え方だ。例えば、自分の子どもがイジメられているのを知って「お前が悪い」なんて言う親はまともとは思えないだろう。

 

学校や会社、外に出れば気が合わない人や距離を置きたい人、自分より弱そうな人がいるのは当たり前で、そんなことはイジメの理由にはならない。だからイジメは、イジメている側の人格や考え方に目を向けなければならない。